『群論への第一歩』「第5章 準同型」ノート
準同型について学ぶ章
準同型は、写像だと言われる
ある性質を持った写像
写像は第2章で詳しく説明された
写像によって、集合同士の関係が示せた
準同型によって、群同士の関係が示せる
rashita.icon群は集合だけでなく二項演算(群演算)を持つわけで、単に写像的なものだけならば前者の関係しか示せないことになる。そこで、「ある性質」という点が効いてくるのだろうか、と予想しておく。
二つの群(G,*)と(G',*')に対し、写像f:G→G'が次の条件を満たすとき、写像fを群Gから群G'への準同型といいます。
Gの任意の元x,yに対して、
f(x*y)=f(x)*'f(y)
が成りたつ
さあ、わからないぞ。
ということでゆっくり読む。
まず、定義の中に*および*'が出ている。これはそれぞれの群の群演算なわけだから、最初の予想は当たっていたことになる。
で、その上で証明を読んでいく。
読みたいのは、
f(x*y)=f(x)*'f(y)
rashita.icon入力が面倒になってきたので、Latexでの数式は適宜省略
という式。この式は何を表しているのか。
まず式の左から。
写像fがある。その引き数的なものにx*yが入っている。
xとyは、Gの元(任意の元)
*は、Gの群演算
x*yはGの群演算の結果で、当然Gの元が出てくるだろう。
次に右の式。
先ほどは一つだったが、今度はf()が二つある。
f(x)とf(y)。それぞれに値を持つ
その値同士が、G'の群演算*'されている。
疑問:この結果は、G'に閉じているか?(それは保証されるか?)
x,yはGの元であり、G'の元ではない
もう少し考える。今度はfを考慮する。
fとは何か?
写像f:G→G'
集合Gの値を集合G'に移したもの
つまり、G'の元が出てくる?(関数的に言えばG'の元がreturnされる?)
だとすれば、f(x*y)は、G'の元が返ってくる
f(x)もG'の元だし、f(y)もG'の元だ
二つのG'の元に対して、G'の群演算をしているのが右辺
なんとなく左辺と右辺がイコールで結びうるものであるかも、というイメージは出来てきた
続き(p/138~)を読む
通常、二つの群(G,*)と(G',*')があるだけでは、f(x*y)=f(x)*'f(y)が成り立つとは限らない。
もしそれが成り立つならば、それを準同型を呼ぼうぜ、ということ。
あとは、成り立っているとはどういう意味なのか(どういう意義があるのか)と、どういう状態のときに成り立つのかがわかればだいぶわかった感じがする
標語が出てきた。
「掛けてから移しても、移してから掛けても同じ写像」
「積を積に移す写像」
例
mod 4 で考える
ZとZ_4
f(x)= x mod 4
数字を当てはめて考える
f(2+7) = f(2) +_4 + f(7)
2と7を先に足し(9)、そのあまりを求める→1
これが左辺
2と7を先に移し、その二項からあまりを求める
2を4で割ったときのあまりは2
7を4で割ったときのあまりは3
それぞれ2,3が写像fによって移された値
そこから群演算を行う
2+3=5を4で割ったときのあまりは1
これが右辺
こういう関係になっていれば、写像fは、群Z、群Z_4への準同型
後は実際例を重ねていく
指数関数の例がしっくりきた
x^(2+3)は、x^2 × x^3と等しい
前者は「+」の群演算(*)が
後者は「×」の群演算(*')が使われている
当然対数も出てくる
逆写像も準同型の場合、同型写像という
ところで準同型の「準」は何かなとちょっと疑問をメモしておく
準同型f:G→G'に対して逆写像f^-1:G'→Gが存在し、しかもその逆写像f^-1がG'からGへの準同型になっているとします。そのときfは同型写像であるといいます。もっと短く、fは同型であるともいいます。
また、群Gから群G'への同型写像が存在するとき、GとG'は同型であるといいます。群Gが群G'と同型であることを、
$ G \cong G'
と表記します。
この同型の手前というか半分なのが準同型、ということか。
fは同型写像←→fは全単射な準同型
同型写像が存在するなら、同型と呼ばれる。
同型と呼ばれていれば、同型写像が存在している。
同型であれば、群として同じ構造を持っていると言える
準同型の性質
準同型は、単位元を単位元に移すf(e)→e'
準同型は、逆元を逆元に移す
準同型は、部分群を部分群に移す
rashita.icon自分で証明を一から立ち上げられる気はしないが、証明を読むことはできた
とりあえずはよしとする
準同型がやっているのは、「積を保つ」だけなのに、構造も移されるという話は興味深かった
「積を保つような転写」を仮に文化的に考えればどうなるか
たとえ話
たとえ話は話題Aから話題Bへのトピックの写像で、たいていそれは準同型までの話。逆側のたとえ話がうまく成立するとは限らない
同型写像である「たとえ話」は、もはやたとえ話ではないのだろう。
もちろん、これ自体もたとえ話だ